パフォーミングアートを考える

心理学の視点も交えながら、考えていくブログです。

「よし、やったるか!!」というチャレンジ精神が大事なのはなぜか。

~スキルの発達、という視点から~

 

以前から、『スポーツアスリート』と『パフォーミングアーティスト』は、 “身体を使う”というところで共通点が多いと思い、スポーツ関係の勉強会があればできるだけ参加をするようにしていた。

  

例えばスポーツ心理学では、

『やる気』『あがり』『緊張』などの研究がされていたり、

『スポーツメンタルトレーニング』といって、

『スポーツ選手が、持っている能力を最大限に発揮するためのこころのスキルを学ぶトレーニング』

について研究されていたりする。

 

「・・・これ、パフォーミングアーティストにも必要じゃね!!??」

 

と思うのだが、なんだかしっくりこない部分もある。

 

スポーツの勉強会に参加すると、フィジカルトレーニングもメンタルトレーニングも、「針の先をさらに尖らせるような繊細さが求められるんだなぁ・・・」と感動するのだが、

はたして、アーティストにそこまで尖ったトレーニングが必要なのか、という点がよくわからない。


確かにアスリートと同様に、繊細なテクニックを求められる作品があることは間違いない。

・・・でもそれだけでは足りない気がするのだ。

 

なぜしっくりこないのか、ということを考えているうちに、アスリートとアーティストでは『スキルの発達の仕方』に違いがあるんじゃないだろうか、と思うようになった。

 



スキルの発達の違い

例えば『サッカー選手』のパフォーマンスは、相手のゴールにボールを入れるために、

  ・パス

  ・ドリブル

  ・シュート

などのボールコントロールの技術や、

  ・スタミナ

  ・スピード

  ・パワー

などの、身体能力を高めていく必要があり、そのスキルを日々磨いていくことが必要になる。プロになればなるほど、その精度を高める必要があり、キャリアが深まるほど、どんどん細かい調整に行き着くのかなと思う。

つまり『スキルが深まる』のだ。

 

 

でも、パフォーミングアートのキャリアの発達は、『スキルが深まる』という点だけでなく、『スキルがどんどん広がっていく』という部分が特徴なんじゃないかなと思う。

 



たとえば・・・

例えば、バレエは、プリエやピルエットやジャンプなど、基礎となる動きを元に作品を作っていくが、バレエダンサーは常に同じ作品を踊るわけではない。

キャリアを深めていくと作品のレパートリーも増えていくし、「コンテンポラリーの作品を踊ってください」と、コンテンポラリーを踊ったり、「ミュージカルに出ませんか」とミュージカルで踊ったり、ジャンルが広がることもある。

 

俳優さんでも、最初は『さわやかヒーロー系』を多く演じられていた方が、キャリアを深めるうちに、『悪役』『癖の強い役』など、本来のイメージやパーソナリティーと離れた役にチャレンジする様子などもよく見かけるだろう。



モデルから、シンガーになり、今は俳優活動・・・、などカテゴリーを飛び越えた活動をされる方も多い。

 



スキルの枠が広い=チャレンジの連続

『サッカー』『野球』『陸上』などのスポーツとは違い、パフォーミングアートに求められるスキルは、“枠がない”と言っていいほど広いのだ。

 

アスリートのように、決まった枠の中で繊細にスキルを深めることも重要だが、そのスキルは次の作品では使わないかもしれない。


そのため、自分の軸となるスキルを深めつつ、新しい作品が目の前に現れた時に、現実的な精査をしながら、
「よし、やったるかぁ!!」とチャレンジを楽しめるこころのスキル、というのがより大切になってくるのだと思う。

また、器用さや柔軟性というものも求められるかもしれない。

 そこが、アスリート以上に求められる点なのだと思う。



今回のまとめ

アーティストのキャリアはきっとチャレンジの連続だ。

キャリア=チャレンジの歴史

といってもいいぐらい、様々なチャレンジを求められたり、自ら飛び込んだり・・・を、短いスパンで繰り返す。

 

こうやって考えて見ると、アーティストは、繊細さと大胆さの両方が求められるものなのかもしれないなぁ、と思う

 

 

‟働くパフォーミングアーティスト”について考える

~パフォーミングアーティストとはどんな人達なのか?②~

 

私は、パフォーミングアーティストの中でも、特に『それを仕事にしている人』に興味があります。

 

なぜなら、パフォーミングアートを仕事として継続するにはそれなりの覚悟が必要で、それを続けている彼らに尊敬と憧れがあるからです。

 

そんな興味から、働くパフォーミングアーティストについて調べているうちに、ほとんどのアーティストは『労働者』というカテゴリーに入らずに仕事をしていることを知りました。

 


今回は、『労働』という切り口から、パフォーミングアーティストについて自分なりに考えてみたいと思います。

堅苦しい話が出ますが、知識は大切だと思うので、読んでもらえると嬉しいです。

 




そもそも労働者って何?

改めて、労働者って一体何でしょうか?

 

労働者とは、「職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者」をいう。(労働基準法第9条)

 

また、

労働者であるか否かの判断は、


(1)労働提供の形態が使用者指揮命令の労働であること。
(2)賃金が労働に対する対価として支払われていること。
2点の基準で判断される。

 

出典 (株)アクティブアンドカンパニー人材マネジメント用語

  

 

……だ、そうです(難しいよぅ…orz)

難しいのですが、どうしてパフォーミングアーティストは労働者じゃないかというと、

 

 

『(1)指揮命令下の労働ではなく、作品の注文を受けて作品を作ることが仕事であるし、

 

(2)賃金が労働に対する対価として支払われている』わけではなく作った作品に対して報酬という形で賃金が支払われるので、

 

(1)も(2)も当てはまらない場合が多いからです。※もし違ってたら誰か教えてください!

 

 

パフォーミングアートは『自分の身体で行う行為』が作品なので、『労働』と勘違いしやすいですが、

そういった仕事の性質上、アーティストは『労働者』に入らない場合が多いのです。





労働者を守る法律

近年ニュースなどで、過労死や、ハラスメントの問題など見かけることが増え、働く人の心身の健康について注目が集まっているのを感じます。

 

みなさんは、労働に関する法律がとてもたくさんあることを存じでしょうか。

施策概要・法令・指針・行政指導通達|こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト


以前、労働者のストレスに関する研修会に行った時、講師の先生がこう言っていました。

 

「雇う側は、ほうっておくと労働者を搾取してしまうもの。

 

法律という一番厳しい形で縛らないと抑えられないから、労働の法律はこんなにあるんです。

 

労働者はとても弱い立場。

法で守らないと、雇う側から守れない。」

 

 

それを聞いて、

「労働者じゃないアーティストは、自分の健康や権利を誰が守ってくれるの?」

と思いました。

 

雇う側のモラルや、アーティスト自身の自衛のみで支えるということ?

 

それで今まで成立してたのだから、凄いけど、

法律というガーディアンがいない中では、課題も生まれるのだろうなと思います。

 

 

 

時間を例にして考えてみると・・・

 

例えば、労働基準法では労働時間は原則として、

1日に8時間、1週間に40時間を超えてはいけない』と決められています(例外あり)。

また労働安全衛生法では、

 

“時間外労働(残業とか)は、1か月に100時間超えるのは危険だよ”

 

ということを法律で定めています。

 

脳疾患や心臓疾患、精神疾患の発症と、長時間労働が関係していることが明らかになっているからです。

 

 

『時間』という枠組みでも、労働者は法律で守られています。




 

アーティストの世界はどうでしょうか?

 

研究や調査のデータがないので、正直言って『時間にまつわる実態』はわかりません。

 しかし、現場によって長時間の働きを強いられる場合があるかもしれません。

 

雇う側から考えると、「良い作品を作るためには、稽古時間が長くなってしまうことも致し方ない。」という気持ちも湧くだろうし、作品に対する愛があれば稽古にも熱が入ると思うからです。



 

また、アーティスト側も、自ら長時間働く場合があるかもしれません。

なぜなら、『クリエイティブな発想』は、自分の過去の経験と、自分の外からやってきた新しい情報が頭の中でうまく混じった瞬間に『ひらめき』という形で生まれます。

 

『ひらめき』は、いつやってくるかわからないので、新しい発想を求められる仕事の時は、ずーっと頭の片隅でそのことについて考えます。

その働きは、時間では縛れません。

 

また、『新しいテクニック』を身につけようとする時は、身につくまでの反復訓練が必要で、雇い主がいくら時間を縛っても、アーティスト側は、テクニックが身につくまで自ら稽古時間を超過することもあるでしょう。

 


・『クリエイティブな発想』『テクニック』が無ければ、今の仕事で成果を出せない

 

・今の仕事で成果を残さなければ、次の仕事にはつながにくい。

 

 

そういった綱渡りを続けていく状態が、パフォーミングアートを職業として続けることだとすると、パフォーマンスを深める時間は、他のことより優先されるでしょう。

 



長時間労働すると心身の不調をおこしやすい』

という研究・調査の結果があっても、雇う側・アーティスト側、双方、「現実は難しい」という実態がありそうです。

 

 

 

 

 

“働く”基準が、パフォーミングアートの世界にも

少し前、パフォーミングアート業界でのハラスメントに関する複数のニュースを知り、言葉にできない複雑な思い、悲しい思いをしました。

その一方で、パフォーミングアートの世界で『ハラスメント』、という言葉が使われたことに驚きを隠せませんでした。

 

だって、きっと“芸事”の世界は、

技術を習得するためには、厳しい言葉で叱責されることなんてよくあるし。

失礼なことを言われるなんて、よくあるし。

身体で覚えなきゃいけないから、叩かれて覚えることもあるだろうし。

身体を使うんだから、身体を触られることもあるだろうし。

つまり、ハラスメントは昔からよくあった事。

 


そういうイメージを持っていたからです。

 

そんな中で改めて使われた『ハラスメント』という言葉。

アーティストの方達には、どう受け止められたのでしょう。

 

 

私は、心理学は『物事の意味を考える学問』だと学びました。

 

なので今の自分は、『ハラスメント』という言葉が使われた意味ってこうなのかな、と考えています。


・世の中が、一般の“働く”基準で、パフォーミングアートの世界を見ようとしているんだ

 

・日本でパフォーミングアートが職業として広く認められてきたんだ

 


 

きっと、雇う側・アーティスト側、様々な考えやお気持ちがあると思いますが、

パフォーミングアートが職業として広く認められるということは、当事者以外の視線が増えるということ。

 

その外側の世界から、

 

新しいあり方を考えなきゃいけないんじゃないの?


と投げかけられたのだと感じました。

 


 

 

新しい働き方を模索するためには、知識が必要なんじゃないか

 

もし、パフォーミングアートの世界で新しい働き方が求められているのなら…。

 

そのヒントは、新しい知識を身に着けるところにあるんじゃないでしょうか。

 

雇う側も、アーティスト側も、自ら新しい知識を得て、今の時代に合った新しい働き方を模索していくしかありません。

“働く”ことに関する世間の基準は、ますますパフォーミングアートの世界に流れてきます。

 

 

雇う側も新しい知識を身につけなければ、アーティストに訴えられる事例がますます増えるでしょう。

 


現在の日本の、労働者を守るための基準や仕組みは、同じ働く人間として、パフォーミングアートの世界でも役に立つものがいっぱいあると思います。

 

何がハラスメントと言われているのか

・何が心身の不調につながるのか

・働く者の権利とは何か

 

 

知っている・知らないの差は大きいです。

知識は、何かあったときの自分を支える杖です。





労働者のストレスチェックの取組み/メンタルヘルス対策

2015年から、労働者に対する『ストレスチェック』というものが始まりました。

 

働く人たちが、自分の仕事の取組み方や職場環境について振り返り、考えたり相談できる仕組みが出来ました。


厚生労働省の『こころの耳』というポータルサイトでは、そのストレスチェックが無料でできますし、結果もその場でわかります。

 

質問の中には言葉が当てはまりにくい項目もありますが、今の現場に置き換えて答えることもできると思います。

働くアーティストが、自分で自分のストレス状態をチェックする時に役立つと思います。

 

 その他、『こころの耳』ではメンタルヘルスに関する様々な情報がのっています。


kokoro.mhlw.go.jp

 

 

 

 

芸術家サポート団体の取組み/ヘルスケア対策

心の健康だけでなく、アーティストの身体の健康について取り組んでいる団体もあります。
www.artists-care.com

 

アーティスト当事者の身体のサポートや、アーティストのケアに関わる専門家向けのセミナーなども開いています。

広い視点で取り組まれている印象です。

 


 

よりよく発展するために

インターネットが普及し、いろんな娯楽を手元で引き寄せられる時代になりました。

 

10年後、20年後、パフォーミングアートの世界は一体どうなっているのでしょう。

その変化を楽しみつつ、パフォーミングアートの世界がより良く発展するために、ひっそりとここで学びを深めていきたいな、と思うのです。



イメージを引き出す“曖昧さ”という力

 これが何に見えますか?

 唐突ですが、皆さんにはこれが何に見えるでしょうか? 

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これは、『フィエスタ』という私が大好きなアメリカのメーカーのティーカップです。お気に入りすぎて使えないという、本末転倒ティーカップです…。

 

ほとんどの方がこの写真を見て、

ティーカップ』とか、『コーヒーカップ』、

などだと思われたのではないでしょうか。

 

 

では、今度の画像は何に見えるでしょうか?

 

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これは、私が揺れる電車の中で、利き手ではない手で書いた“何か”の絵です…。

私の絵心の無さへのツッコミは、今はどうぞ置いていただいて……orz

 

これが何に見えたでしょうか?

 

 

 

 

私の知人の数名にたずねてみると、

』、『ばい菌』、『』、

インベーダーゲームのインベーダー』、

など様々な答えがありました。

 

 

最初の『ティーカップ』よりも、答えの幅は広がったように思います。

 

 

 

人は曖昧さを心で補完する

人間は曖昧なものを見せられた時、曖昧な部分をイメージで補おうとする心の働き(知覚の働き)が起こります。

人生で経験してきた記憶と照らし合わせて、“自分が知っている何か”として見ようとするのです。

 

また曖昧さが大きいと、イメージで補う余白が広いため、自分の心の状態に合わせて、世界を自由に捉えていくことができるようなのです。

 

逆に、曖昧さが少ないと、実際に見たものをそのまま認知する傾向が強いといわれています。

  

 

ティーカップは、曖昧さが少ない例。

2つ目の訳の分からない絵(汗)は、曖昧さが大きい例です。

 

 

 

ティーちゃんが愛される訳は…?

日本を代表するキャラクターの一つ、『キティちゃん』には口がありません。

これには意味があり、感情の手がかりとなる『口』をキャラクターから排除したことで、

 

見ている人が嬉しい気持ちの時は『嬉しい表情』に、

悲しんでいるときは『悲しい表情』もしくは『慰めたり励ましてくれている表情』に、

 

持ち主が望む表情に見えてくるように、つまり自分の気持ちを投影しやすいように、あえて『口』を排除したようなのです。

 

news.livedoor.com

 

 それを知ったとき、

「凄いっ!曖昧さ絶妙…。

しかも、曖昧にするところ絶妙~!」

 

と思いました。

きっと、全体の形が曖昧すぎたらキャラクターとして可愛くないし、隙が無く完成していると自分の気持ちを投影しにくい。

 

皆に愛される理由の一つに、"計算された曖昧さ"の効果もあるのだなと思いました。

 

 

 

パーフォーミングアートの世界ではどうなのか?

 パフォーミングアートの世界でも、曖昧さは重要であるように思います。

なぜなら、作品は単なる情報伝達ではなく、“観客がそれを見て何を感じるか”という所を大切にしていると思うからです。

 

 先日、とあるミュージカルを観に行ったのですが、その作品のワンシーンに心がぐっと掴まれる経験をしました。

 

そのシーンは、

“ある人に心を傷つけられたヒロインが、友達に慰められる”というシーン。

 

ヒロインの友達は、もちろんヒロインを励ましているのに、何故か私自身が励ましてもらったような気持ちになって、胸が熱くなったのです。

 

ミュージカルなので、そのシーンは歌とダンスで表現され、正確には覚えていないのですが、大体こんな内容の歌詞でした。

 

 

痛みや悲しみは水に流そう

明日は気持ちがほがらかになれる

涙もきっとすぐに乾くから

 

 

 

 曖昧さによる投影の効果は、目で見ているものだけで起こるものではありません。

耳から聞こえてくる歌詞や台詞、メロディやリズムでも起こります。

 

 

例えば、『父』・『母』とだけ聞くと、貴方はどんなイメージを持つでしょうか?

 

『30代、3人の子持ちの専業主婦の母』

『60代、定年間近のサラリーマンの父』


という言葉よりも、

『父』

『母』

 

だけを提示された時の方が、イメージする側の自由度は高いです。

 

 話をミュージカルに戻すと、

その曲は、ストーリーからその曲だけ取り出しても成立するような絶妙な歌詞の曖昧さがあり、メロディー自体も素晴らしく、つらい経験や友達に励まされた経験のある人なら、思わず胸にしみてしまう刺激がたくさんありました。

(しかも、“水に流す”・“乾く”とかけて、お洗濯をしながら歌うシーンでした。オシャレ!)

 

 

 

私はその言葉やシーンの刺激を受けて、自分の人生の辛かった事や友達から優しくされたことが投影され、

ストーリーに関係ない私自身も、ヒロインの友達に励ましてもらったような気持ちになったのだと思います。

 

 

 

作品と人生が重なる瞬間は…

これを読んで下さっている方の中には、パフォーミングアートの作品を見て、

 

「これは私の物語だ!」と感じたり、

あるパフォーマーの感情が強く伝わってきたり…

 

その作品の中に“自分”を見つけて、“心が震えるような体験”をされた方もいるのではないでしょうか。

 

 きっと貴方にとってその作品は、

作品自体の面白さ(明確な形の部分)だけでなく、

自分の人生を投影できる、貴方にとっての絶妙な余白(曖昧な形の部分)

を含んだ作品だったのかもしれません。

 

 

そんな作品に出会えることは、人生を豊かにする素晴らしい経験だと思います。

 

パフォーミングアーティストとはどんな人達なのか①

パフォーミングアーティストって、傷つきやすいんじゃなかろうか!?
アイデンティティの視点から~


 

パフォーミングアーティストってなに?

私は大学院で、舞台俳優についての勉強・研究をしたのですが、その経験を通して、舞台とは『パフォーミングアート』というカテゴリーに入る芸術なのだ、ということを知りました。

※パフォーミングアート(パフォーミングアーツ/パフォーマンスアートと同義で使っています)

 

じゃあ『パフォーミングアート』とは何なのかということですが、以下のような定義があるようです。

パフォーミング‐アーツ(performing arts)

演劇・舞踊など、肉体の行為によって表現する芸術。公演芸術。舞台芸術

引用元:小学館デジタル大辞泉

 

パフォーマンスアート: performance art
芸術家自身の身体が作品を構成し、作品のテーマになる
芸術である。また、特定の場所や時間における、ある個人や集団の「動き」が作品を構成する芸術の一分野である。
 

引用元:フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

 

要は、自分の身体を使ってする“行為”が芸術作品である、ということらしいのです。

 
それにかかわるアーティストは、

俳優・歌舞伎役者・声優・ダンサー・パントマイマー・シンガー・オペラ歌手・各種楽器演奏者…

などである思います(ほかにもたくさんあると思います)。

 


“自分の行為が作品”であるということは、

「作品と自分自身を切り分けることができない芸術なんだ…!」

いうことに気づき、新しい見方が増えたような気がしました。

 

絵画彫刻陶芸など、作品と自分を切り離せる芸術と、パフォーミングアートとは、アーティストの作品の位置づけが大きく違うと思うのです。



物体を作るアーティストにとっては、作品は『自分の子』ですが、自分の行為が作品であるパフォーミングアーティストにとっては、作品は一体どんな位置づけになるんでしょう?

 

『自分の子』?  

うーん。やっぱり、しっくりこない。

 

やはり
『自分自身』として感じられるんじゃないか
と考えるほうがしっくりします。

 



パフォーミングアーティストは、気持ちのジェットコースターに乗っている

 アートは性質上、周りの人に見てもらう(評価される)ことで、作品が成り立ちます。当たり前ですが、他者からの評価は自分で決めることはできません。

『自分の子』が評価されるのも非常にドキドキするでしょうが、『自分自身』が評価されるというのは、一体どんな気持ちなのでしょう。

 

プラスに評価されれば、
「自分って特別で凄い人間なのかも!!」

マイナスに評価されれば、
「自分ってダメな人間なのかも…。」

 

作品を発表し続けなければならないプロの人たちは、常にジェットコースターに乗っているような気持ちなんじゃないでしょうか。

 



ミュージシャンGACKTさんの例

ミュージシャンのGACKTさんは、作品作りに長い時間を費やし、非常にストイックなパフォーマンスをすることで有名ですが、先日TVで「大河ドラマに出た時の世間のバッシングが本当にきつかった。緒方拳さんに救われた。」と涙を流して語っていました。

 

またGACKTさんは「自分は緊張しない。緊張する人は“これ以上できない”という所まできちんと準備をしていない奴だ。」という内容のことを語っていました。

 

これは、GACKTさんが“どんな評価でも甘んじて受ける心の準備”をしてからパフォーマンスしているのだと思いましたが、
そのGACKTさんでも、涙を流して「きつかった」と語る世間からのバッシングは、相当なものだったのだと思います。

 

headlines.yahoo.co.jp



アイデンティティ』とは

心理学に『アイデンティティ(自己同一性)』という概念があります。

 

自我によって統合されたパーソナリティが,社会および文化とどのように相互に作用し合っているかを説明する概念。

引用元:株式会社平凡社/世界大百科事典第2版

 

平たく言えば、『自分とは何者か』ということです。

 

・自分は男だ

・自分は父だ

・自分は息子だ

・自分は日本人だ

・自分は明るい人間だ

 

という風に、『昨日も今日も変わらない、これが自分自身なんだと、自分で思える感覚』のことです。

 

 

また、『アイデンティティ』は、“他者や社会との関係の中で作られる”という大きな特徴があります(帰属意識といいます)。

 

井の中の蛙大海を知らず』ではないですが、

他者や社会と触れ合わないと、「私ってまだまだなんだな…」とか、「私ってこういう良い所があったんだ…」と、自分を知ることができないのです。

 

 アイデンティティが、“他者や社会との関係の中で作られる”のならば、

子供は、社会活動の中で大きく時間を取られる『学生生活』で自分のアイデンティティを培うだろうし、大人は、『仕事』を通してアイデンティティの大部分を培っていくのでしょう。

 



パフォーミングアーティストとアイデンティティ

パフォーミングアーティストは、表現を身体に落とし込まないといけないという性質上、トレーニングに長い時間をかけたり、活動に強いコミットをしていく事が必要になる場合があります。

例えばプロのバレエダンサーなどは、幼少期から長い間、厳しいトレーニングに時間を費やすと言います。

 

 自分自身って本当は、

・自分は日本人だ

・自分は女だ

・自分は穏やかな人間だ

・自分は3人兄弟の末っ子だ

など多面的な存在であるはずなのに、真面目でストイックなタイプの人や、「成功しなきゃ」というプレッシャーが強い場合、

 

“自分のアイデンティティ”=“自分のパフォーマンス。それのみ。”

という感覚に陥りやすいのかもしれません。


もし自分のアイデンティティが、“アーティストとしての評価”のみに結びついているんだとしたら、“自分は何なのか”という感覚は、評価に合わせてジェットコースターのように、大きく浮き沈みしてしまうでしょう。

 

プラスに評価されている時は良いのですが、マイナスに評価されたときは、自分自身が脅かされるぐらい大きく傷つくでしょう。

 

 

また、アイデンティティがある程度固まるのは、25歳ぐらいであると言われています。

年齢がまだ若いアーティストは、自分のアイデンティティが不明確な分、パフォーマンスを通した自分への評価で、自分自身が脅かされるぐらいの傷つきを体験しやすいのではないでしょうか。

 

有名子役の人生が、その後複雑になりやすいのも、

アイデンティティがしっかり固まりきらないうちに、“周りの評価”に強くさらされ、波の激しいジェットコースターに乗りながらアイデンティティを確立しなければいけない、という大変さがあるからなのかもしれません。

またアイドルという仕事も、評価の浮き沈みが激しく、そして強烈。

若い彼ら・彼女らが、安定した心を保って活動し続けるのは本当に大変だろうなと思います。

 

ナタリー・ポートマン、子役時代の苦労を語る!  | tvgroove

 


パフォーミングアーティストは、どのように傷つきから身を守ればいいのか

『パフォーミングアーティストは、その活動の性質上傷つきやすい。』

 

とするなら、彼らはどうやって『必要以上の傷つき』から自分を守ればいいのでしょうか?

 

なかなか答えが出ません。

 

 

 

でも少なくとも今の私が思うのは、

 

自分のパフォーマンス=自分自身ではない。あくまで自分の一部である。

 

ということを自覚することが大切なんじゃないのかな、と思います。

 

また、関わる作品が集団で行われるものであれば、

 

良い評価も悪い評価も、自分個人ではなく集団に与えられたものである

 

ということを自覚することも大事だと思います。

個人に原因を帰属させ過ぎると、自分が尊大になりすぎたり、必要以上に劣等感を感じてしまうだけのような気がします。

 

 

そして時には、

 

・自分は父(母)なんだ。

・自分は、〇〇の彼(彼女)なんだ。

・自分の趣味は〇〇なんだ。

 

など、自分を構成するほかのアイデンティティを思い出し、そこでの社会の関わりを大切にして、パフォーミングアーティスト以外の自分を再発見する必要があるかもしれません。

 

 

そのような工夫が、長く健やかにパフォーミングアーティストとして活動できる秘訣なんじゃないでしょうか。